スパーネオンホール2016冬

 久しぶりにスタッフとして、全行程を務めた。自分が関わったネオンの数年間に一緒にいたOBスタッフや現役スタッフが勢ぞろいしていて可笑しかった、きっと虫のしらせだろう。なるようにしかならないし、未来はみえない、ムショランナーもオコジョ刑事もネバメン君も蟹モアイもレインボー地獄刑事もカイカイ星人も、経路依存するのだ。出演はしなかったが、昔千里さんと清水さんとナノグラフィカで作った《ネバメン君のテーマ》をダフーでやってくれて嬉しかった。自分の作品が披露されることと、出演することはそう遠くない関係にあるようだ。
若林の家に泊めてもらって、夜食にカップラーメン、埃っぽい布団で眠りについて長野電鉄の始発列車の音が耳について目が覚めてまた寝た。学生の頃となんら変わらない。昼を食べて権堂商店街の外れを散歩してネオンに向かった。
 今年も千里さんを中心に長々とアフタートークをしたけれど、家を背負うことのバリエーション、哲学と数学の違い(ドストエフスキーがいなかったら生まれなかった哲学(言葉)とアインシュタインがいなくてもいずれ解き明かされる数式について)、バンドマンは風姿花伝を読むべき、ニルバーナは「チャラー」で世界を熱狂させその「チャラー」を超えられない苦悩で死んだにちがいない、音楽は脳内再生が一番音がよくて速く再生できる、などについて話し合い、絶望せずにあしたからも頑張ろうということにした。
 始発を待つ間、現役スタッフのカンナちゃんに名古屋を見直した話と人生は急ぐ旅じゃない可能性は狭めてはだめだ適当にやるほうがいいみたいな話を力説してて、清水さんもそんなこと言ってました、といわれハッとなった。僕もそうやって清水さんたちに言われてきたわけだった。ネオンホールの影響は根がふかいのだと感心した。
 早朝の長野駅前は営業している店がコンビニしかなく、なんか寂しく感じた。