でかい幕

目下地方都市住まいである。
地方都市の駅に、年に1,2回開催されるプロ野球の地方試合を宣伝するでかい幕をみるとなんとも言えない気持ちになる。哀れみを感じるぼくは、いまだに都会っ子なのだ。

スポーツの国体とか、なんとかサミットとかそういったイベントのでかい幕も一緒。

最近感じることは、思想よりも体質は雄弁だということ。古い建物のリノベーションって流行っていて、年配の人は、最近の若い人は古い建築が好きとか、古いものへ回帰している、とか分析めいたことをいうけど、そこにはまったく客観性がない。それは豪奢で新しい建築物をたくさん立て少なからず憧れをいだいていた人の感想にすぎない。はっきり言って金がない、根っからの貧乏体質なだけで、古いものがいいなんていうのは、金がなくて古いものを使っている一つの言い訳に過ぎないと思う。ただ、デザインは、もっと言うと素材が描く線は古いとか新しいという次元では語れない美しさがある。そのへんは混同するべきではない。

そして僕が日本の古い建物に興味があるかというと全くない。寺は身近すぎて興味の対象にはならない、マンション住まいがほとんどで体質に刻み込まれた。
建築は経験だ、と誰かがいったけれど、小さい頃にお盆には親戚皆が集まった奈良の吉野にある本家や、松本の本家みんなのアジトであるカニ甲羅荘は、記憶の中でいつも素晴らしい建築物なのだ。どちらも古いが古いからいいわけでもない。仕方ないからそこにいるとも言える。

美術館として利用されているイタリアの城の冷たさと窓からはいる陽光のやわらかさよ。

いまだに都会っ子でぼっちゃんだ。