日記

協力なく生きられる世の中を実現してしまったこと自体がそもそもの間違いだったと思う。不便な境遇で力を出して生きることが人の幸せなんやと。俺にも君にも彼にも一台の冷蔵庫、クーラー、ストーブ、パソコン、オーディオ、あわよくば車を。それを実現したのは誰や。誰でもない、それが僕と君と彼なことに軽い絶望を感じる。いつも思うねんけど、環境とか多様性とか二世帯住宅とか賑わいとか不便とか、言葉は失われてから生み出されていることにみんな早く気づけよ。そんなもんはもう無いの。アーケードの外側ではちゃくちゃくと、不法滞在の汚い住居が増えて空き地と青空駐車場が増えてる。一杯のコーヒーのうまさ、茄子の模様、海、山、友人、音の粒、彫刻の輪郭はこんなにも愛おしいのに、反原発シュプレヒコールには微塵も興味をもてません。