谷川俊太郎から筑摩の花火

谷川俊太郎による「詩と音楽Ⅱ」』
という催しに行ってきた。サイトウ・キネン・フェスティバルの一環として、あがたの森講堂で行われたこのイベント。1000円という破格の値段で盛況かと思いきや、平日の17:30開演ということで、空き席もチラホラ。というのも、この日は筑摩の花火が重なっていて、19:00開演の予定がだいぶ巻いてしまったのだ。去年の花火は諸問題で中止されていたのだが、今年は復活したようで、あがたの森には浴衣すがたの人がちらほら。

催しは凄くよかった。弦楽六重奏谷川俊太郎というスタイル。詩の朗読から演奏へ、詩は独立した表現としてだけでなく、直後の演奏へのゆるやかな導入として、たぶん演奏の表情も変えていたに違いない。
クラッシクの音楽について何もかたれないのだけど、演奏はアンプラグドで、あがたの森講堂のロケーションの良さもあるんだろうけど、バイオリンやチェロのまるで綿菓子のような繊細な音に打たれた。プラグすると、音は荒いというか感覚的には粒子状なので、新鮮な体験だった。
シェーンベルクバルトークがよかった、ブラームスはゴウジャスだった。

谷川さんは79歳らしいのだが、背筋もピントしてて溌剌としたキラキラしたおじいさんだった。「詩人は音楽にあこがれる」というお話のなかで、「意味可能体」というキーワードが出てきた。それは「まだ言葉になる前のボンヤリとしたもの」で「音楽が持つ言葉というのは、この意味可能体だと思うのです」と谷川さんは語っていた。「そのなんかボンヤリした言葉のようなもの、意味可能体を拾い上げて言葉にするのが詩人なのです」。意味可能体のキャチ力がずば抜けているだけでなく、谷川さんが変換した言葉の易しさがやはり魅力やなぁと思った。

鉄腕アトム」の作詞が谷川さんなのは知ってる人は知ってるだろう、その演奏がアンコールとして選ばれていた。なんかなー、と思っていたら谷川さんは「百三歳になったアトム」を朗読し始めた。ここまで予定調和なんだろうけど、朗読のパフォーマンス性とこの詩の中にいる頼りないアトムの様子は、客と谷川さんの合唱にきちんと影を落としていたように感じた。

総じてとても良かった。

花火は花火らしくドーンドンと上がっていて、夜店のかき氷の味は、年をへるごとに後味がうーん、なんだけど美味い。