ソ連

バイト先で「日露の交流会」が開かれていた。
なんとも言えないいい加減な会で、面の皮の厚い年寄り+コスモポリタン風日露の若者という吐き気を催すセットだった。

終りの方で兵隊時代にシベリアに抑留されていたお爺ちゃんの長いスピーチの途中
「私は1年4ヶ月どこそこに抑留され・・・・今、ソ連の皆様とこうやって交流を深め……」

このお爺ちゃんは交流会に不満ありありのようだった。
やっぱりお爺ちゃんにとっては、オロシアはソ連で、否応なく突き落とされたかの地での苦しい日々は、その傷ついた魂は、どんなに時間が経っても洗われるわけではないのだ、そんな突き飛ばすような気迫が感じられた。

ロシア人の通訳から、ソビエト、らしき言葉は聞き取れなかった。