日記

國府さんのお別れ式に参列した。お金もないし、無理してこなくてええ、と國府さんに言われそうな気がしたけど、もし行かなかったら、行かなかったことを忘れられなかっただろう。

2008年『move to moving』で初めて國府さん会ってから、僕は彫刻に、静物に興味を持ち始めた。教えてもらった、ティンゲリー。彫刻作品が、パフォーマンスと同じくパフォーマティブだと感じられたのは、故障した作品をニコニコと修理する國府さんの姿からだった。僕も松本市美術館の中庭で、《Natural powered Vehicle》に北アルプスの風を聞いたのかもしれない。車内は無人、作品の機構が風を受けて動いたときに、poweredについて、力を受けることについて思いを馳せた。

2013年『未来のいえ』、西宮市大谷記念美術館で久しぶりに國府さんに会う事ができた。水中に沈められた車のエンジン、前後に自走する温室、國府さんの作品はやはり強く胸を打った。水に沈められたエンジンは、國府さんの言うように「不整脈の心臓」そのものだった、機械には血が通ってるように思えた。それは誰の血なのだろうか。車の血だったのか、國府さんの血だったのか、地球のそれだったのか。果たしてこれの元はなんなんだろうと考えた。水中エンジンのマフラーは美術館の壁にそってつなぎあわされ、排気ガスが屋外に排出されていた。

今日、國府さんの写真を目の前にしてやたらと涙があふれてきた。國府さんとの出会い、作品との出会いは、僕にとって本当に大きなものだ。アートというものが確かにあって、なにか力をもっていることを、可能性を見せてくれた。その人はアーティストだった。だから、僕は凄く期待してたようだった。國府さんがいて作品が生まれてくる事で、なにかが変わるきがしていた。

Natural powered Vehicleはもう失われてしまっているけれど、僕はモンゴルの風をうけて彷徨っているその姿を想像できるから、國府さんがいなくなっても在り続けるものごとについて誰かに伝えていきたい。