金沢

 もっくんの結婚式に参列するためにこばと金沢にいった。
もっくんとこばと僕は、深江荘で2001年〜2002年までともに過ごした。101、102、103号室だったと思うが横並びの3部屋に陣取り、主に日当りの良い101号室(こばの部屋)を拠点に賑やかに暮らし、時に大家さん(酔っぱらった)に大声で「もう、出て行け!」と叱られたりしていた。とにかく僕ともっくんは4月の段階では布団ぐらしか持っていなくて、101号の人のよい男の部屋にやっかいになっていた。4月の松本は僕らが思っていたより寒かった。その調子で、3人で楽しく過ごした日々はあっという間に流れて、もっくんは上田へ、こばは長野へ、僕は松本に残り旭へ引っ越した。僕は寂しくなって、授業にも出ず、2002年はほぼボックスで過ごした。
 こばと一緒に金沢いったのがその2001年の夏だった。松本ぼんぼんの日、提灯がつるされアップルランドで謎の曲がエンドレスで流れ色めき立つ(田舎臭い)街がイヤになって、たいした荷物も持たずに青春十八切符で北陸へ向かった。0泊2日、長野→直江津→富山→金沢→福井、帰りは良く覚えていない、くたくたで松本にたどり着いた。路面電車に乗って富山大学にいった。金沢大学にも行った。金沢では腹ぺこで夜の街を歩いた、金のない僕らがぷらっと入れるような店がなかった、金沢駅から片町まではかなりの距離がある、ということが今回の金沢旅行で確認されたが、僕らは今では到底歩けない距離を空腹で歩いていたようだ。ようようたどり着いた「宇宙軒食堂」という店になんとなく入り何かを食べて、また金沢駅まで戻り、駅で一夜を過ごした、寝たかどうかも覚えていない。早朝、兼六園に行った。たまたま無料開放デイでただで入れた。ぼんやりした頭で庭園の喫煙所でタバコを吸った、カラスが多くてなんだか不気味であったことを覚えている。その後、確か福井に向かい、一瞬おりて松本まで引き返した。余った一回分の切符はどうしたんだろうか。
 14年経ってぼくもこばももっくんも結婚した。金沢は様変わりしているようだった、僕らが詳細を覚えていないだけかもしれないが。思っていたよりでかい。携帯の地図がないような時に行った僕らは、ほとんど迷子みたいなものだったに違いない。北陸新幹線に乗ってあっという間に到着し、駅ビルの回転寿しで早速一杯やった。その後タクシーで、金沢モリス教会へ向かう。教会式の後は、金沢の名店「つば甚」で披露宴。つば甚の会席は、うんちくと魚介の新鮮さあいまって最高にうまかった。本物の会席とはこういうものかと思い知らされた。もっくんの明るさは進化していて、会場の床が抜けるかとおもうほど賑やかでみんなが幸せに包まれた祭りに仕上がった。
 よるはせいごと合流して一杯やることにした。北国銀行で待ち合わせし、せいごが唯一しっているという店にいくと一杯で入れなかった。仕方がないので片町まで歩く事にした。3人でちんたら歩き、あまりいい店がないので、少し裏道に入ってみたりしたがやっぱり、入りやすい店がないので、また表に出てたりした。もう一回裏道に入ろうとした時に、こばが「あった」と言ったんで、なんぞやとおもったら「宇宙軒食堂」がそこにあった。これは運命としか言えない。隣にあった若いにーちゃんがやっているバーで一杯やった。家族の事とか学生時代の美しい思い出について話した。帰り、宿迄30分以上かかるならタクシー、ということでグーグルマップで調べたら27分だったので仕方なく歩いた。
 知らない街を汗だくで地図もあてもなく歩いた二人は、スーツを着て携帯を片手にほろ酔いで今夜の宿を目指す二人になっていた。