國府さん

 信州大学美術WSのツイートに、ある寄稿文がリンクされていた。大阪のアートコートギャラリーで開催されている、國府さんを偲ぶ展示会のために、恩師が寄せたものだ。國府さんが亡くなったのが去年、國府さんと出会ったのは8年前の2007年、國府展の時だ。『move to moving』と題されていたが、私たちはもっぱら國府展と呼んでいた気がする。 5月中に行われているアートコートギャラリーの展示に行くチャンスはあったし、まだ行ける機会は残されているが、國府さんがいないその場所に、まだ、あまり行きたくはない。見たことのない作品が、きっと数多く並んでいて、私たちが触れた作品もあるに違いない。
 8年前、私は信州大学大学院に入学した。その年に恩師と出会い、國府さんにも出会った。大学院ではFuturismoについて研究するつもりでいたが、軸がないまま入学した僕は、あれやこれやと興味の触手を伸ばしては断つようなことをしていた。この時期の得難い事柄は、恩師のおかげで昔から好きだった舞台芸術やパフォーマンスだけではなく彫刻や絵画などの静物に、現代美術を通して興味を持つ事ができたということ。大学院は結局卒業できなかった、卒業には未練があるが、得たものは数えきれない、在学中の3年半は今の思索のコアとなっている。
 國府展の制作にはどれくらいの時間がかかったのか、何日間の展示だったのか覚えていない。ゼミで画像などを紹介され、打ち合わせということで京都へいくことになった。恩師とともにアートスペース虹へ行き、ひっくり返った車の上に生した苔の息づかいは、今も良く覚えている《虹の高地》。その後、近くの喫茶店で打ち合わせをした。出展作品についてなど。打ち合わせらしい打ち合わせではなかった気がする。國府さんは言葉少なく、恩師がずっと質問を投げかけているようなかたち。自分は発言をしたかどうか。展示会に関わること自体、初めてだった自分にとってはわからない事ばかりで、國府さんの顔だけ覚えて帰った。
 信州の気持ちのいい夏の頃に國府さんは沢山の機械や車輪とともに松本にやって来た。松本市美術館の搬入口から次々と重くて硬いモノを企画展示室へ移動させた。天井の高い白くて大きな部屋に、見たことない形をした乗り物が並べられた。乗れない乗り物《kokufu mobile》のボディのカーブに心を惹かれた。そこここでバッテリーの充電が始まる。ゆっくりと國府さんは準備をする。作品について恩師と國府さんはよく言葉を交わしていたが、僕は語る言葉をあまり持っていなかった。設置が終わると國府展はすぐにはじまり、あっといまに終わってしまった。ハイライトは國府さんと学生とで《natural powered vehicle》を松本市美術館の中庭に送り出したとき。その日はちょうど良い風が吹いていて、立てた帆はばっと勢いよく広がった。セイルの紐を握りにこにことコントロールしている國府さんがいて、期待に胸を膨らます私たちがいて、ビークルはゆっくりとすこしだけ前に進むことができた。恩師の言葉をかりる、「セイルにあたる北アルプスの風を聞いた場所でした。」、そういう瞬間に立ち会い、以降あの時の音や匂いや歓声を何度も何度も反芻してきたのだった。
 美術館の階段を下りながら、恩師が話しかけた「《natural powered vehicle》のpoweredというのがいいですね、力を受けるということ・・・」、その後國府さんが頷きながらなんと答えたのか忘れてしまったが、僕もそう思ったし、いまでも強く思っている。