日記

福島市の公共施設前に設置されたヤノベケンジ氏の彫刻《サン・チャイルド》について思ったこと。
http://blogos.com/article/318243/

ヤノベさんが美術作家としてチェルノブイリを訪問し放射能被害についてのアートパフォーマンスや立体造形作品を製作していたことは知っていた。かつて松本市で展示をした国府さんがヤノベさんの工房で製作をしていて話を聞くことがあった。当時は《ジャイアント・トらやん》の製作の前後だったと記憶している。

今年の4月に大阪に行った時に、梅田のグランフロント大阪の広場に《サン・チャイルド》が展示されていたhttps://www.lmaga.jp/news/2018/04/40011/。僕はヤノベさんの作品についてあまり興味をもっていないかったので、あっヤノベケンジの巨大彫刻がおいてあるわ。くらいの印象でしかなかったし、国府さんのことを思い出す勢いの方が強かった。

8月の頭に福島市に寄贈され公共施設に展示されるニュースを聞いた時も、初めは特別感慨がなかった。翌日には作品展示の是非についてインターネットで論争が行っていた。自分では考えなかった様々意見が交わされていた。福島市に住む人が黄色い防護服に対して表した嫌悪感、科学者が非難する胸のカウンターが示す0の数値について、市民のコンセンサスを得たと思っていた行政、予想外の非難に声明を出した作家(作家の声明から非難が予想外であったことはあきらか)。

福島市に《サン・チャイルド》置くことはグランフロント大阪の広場に置くことわけが違った。大阪で見た人はでかいこどものおもちゃが置いてあるぐらいの認識でほとんどの人がチラ見して忘れる程度の認識だったに違いない。それ以外にも巨大な立体作品が展示されていた。都会の雑多さに同化していたように思う。

何日か考えてみて、一番引っかかっているのは、公共施設・公共空間にヤノベさんの作品を設置した判断にある。公共空間に置かれることでヤノベさんの活動やアートの文脈から切り離され作品は無防備になった。また、インターネットの批判を見ていると、放射能や人々の原発や復興に対する認識が変わって、作品が時間に置いていかれているように感じた。一部の専門家を除いて設置は是か非かの意見がほとんどで、この作品の価値はどう考えればいいのか僕はかわからないし、福島市で見てもいないし放射能の恐怖を味わっていないので当地の人の率直な嫌悪感に即座に共感することもできない。ただ思うのは、帰還困難地域や福島第一原発に(遺棄同然に)設置したほうヤノベさんの作家性に合致していたんじゃないかということ。