2/10 クルマのヘッドライトが黄ばんでいたので磨いた。

 

something/Beatlesのベースが6割くらい弾けるようになった。弾いて聴くといくらでも発見があって、次の小節のハマリングオンに向けた布石の1音かなーとか。ポールは基本ピック弾きで、そ弾いてる姿を見て学びたいけど全然動画が見つからない。あとは物覚えが悪くなっていて、気合い入れてやらないと、リアルに1歩進んで2歩下がる。

 

仕事の一環で、3DCGワークショップ受講。あんま興味はないが、市場がでかくてアメリカ一強なのはわかった。居場所のない若者のためにメタバースを、見たいなニュースを聞いたが、いやいやまずは現実に居場所ができるようにしてやと思った。VR博物館やか美術館なんて全く興味が持てない、彫刻なんてものは隙あらば触りたい。

 

 

備忘録

2/2 1年ぶりくらいのちくま。毛蟹、生のり磯部揚げ、数学博士水野さん

 

2/3 しかないファームの手伝い、ポップコーンの選別パック詰め肉体労働なし。我伝で蕎麦ミニ天丼。節分、魚万の巻き寿司3,400円。ベース練習

 

2/4 シネマセレクト「わたしたちの国立西洋美術館」鑑賞、てるこさんと少し話す。ホップフログカフェで昼、モルト入りコッペパン、苦くないコーヒー美味!ワイパー交換失敗。すき焼き、プロテイン

ビートルズの新曲

まだ赤盤の曲しか聞いたことがなかった中学生のころ、ビートルズアンソロジー1が発売された。当時、僕にとって(子供にとって)CDはなかなか高価なものだった。ビートルズの新曲が入っている、そういう触れ込みで発売されたと記憶している。僕はまだビートルズの曲の3割くらいしか聞いたことがなった。全てのオリジナルアルバムを聴ききったのは大学生も終わりに近づいた頃だった。ビートルズアンソロジー1に入っていた新曲は、フリーアズアバードという曲で、1回聴いて大好きなった。毎日毎日リピートで聴き続けた。ジョンレノンの歌はきっちり録音されていない細くヨレヨレとしたものだった。でもその残されたメロディに演奏がよく合わさっていたように思う。ジョージハリソンもまだ生きていた。

 

先日、ビートルズの最後の新曲ナウアンドゼンがリリースされた。すぐにSpotifyで聞いた。オブラディオブラダのような心が躍る曲、アイソーハースタンディングゼアのようなロック、ストロベリーフィールズフォーエバーのような寂しくロマンチックな曲、勝手な期待をしてる時が一番よかったな。

八戸へ行ったこと

記憶はどんどん薄れていく。思い出すきっかけに何かちょっとでも書いておいたほうがいい、そんな風に思って解ってはいたものの、いつそれを始めようかと考えているうちにそれ自体を忘れてしまうことを繰り返し。

 

「挫折禁止日記」は大学の先輩の二郎さんが命名したもので、今日その二郎さんと斉藤和義のライブに向かう高速バスの中で書き始めた。

 

7/28

JRの企画券どこかにビューンで八戸が当たったので、八戸へ行くことになった。松本→上田→大宮→八戸、6時間超の行程。松本→上田は自動車で、道中で工事渋滞していて時間がかかってちょっと焦った。あとは新幹線で思ったより楽に八戸まで行けた。車窓から見えた、盛岡や仙台は昔(震災前)より街が大きく高くなっているように感じた。

 

八戸にはうきぐもの野宮君が住んでいて、八仙の酒造で働いている。残念ながら来訪の2日ほど前に、流行り病にかかって一緒にうろうろすることはできなかった。彼とは、ネオンホールペイブメントで繋がっていて、何度も会ったわけではないけど、10年以上の時を経ても普通におしゃべりができる。八戸へ行く前に電話で3時間ほど長話をしてしまった。

 

八戸は思ったよりも暑かった。この町は太平洋側にあって、青森の中でも雪が少なく温暖らしい、文化的には岩手との関係が深いようだ。新幹線駅の八戸から市街地の本八戸へローカル線で移動。2人で荷物を抱えてふーふー言いながら徒歩で移動、坂を登り八戸市役所やメイン通りを過ぎて、ドーミーイン本八戸にチェックインした。15時くらい。荷物を置いて休む間もなく、三日町交差点付近で八戸酒造の蔵見学へ向かう。街中には高いビルがなくて、電柱は地下埋設になってる。青森の屋台を引くお祭りのためなのか、2車線の1方通行道路が、街区を挟んで東西に走ってる不思議な構造だった。

八戸酒造付近は翌日の(あまり歴史のないタイプの)お祭りの準備で忙しそうだった。

遅れてついたので酒造見学はすでに始まっていた。3、4組がさっちゃんの説明を聞いていた。説明の内容はほとんど忘れてしまったけど、大正の建築で外壁のタイルが何とか詰み?で美しかった。試飲はほどほどに、冷たい仕込み水をガブガブ飲んでこれが美味かった、もうちょっと硬度が高いと違和感があるそのちょっと手間くらいの味だったと思う。ソムリエらしき見学客が御託を披露していてみっともなかった、美味い酒を不味く提供しているのだろう。

下元と弟と水口に酒を発送して満足した、贈り物には独特の満足感と楽しさがある。

酒造の前で背の高いイケメン職員に記念写真を撮ってもらった。その足で野宮君が住んでいるエリアまで散歩。LINEに導かれマンションに到着、1階と5階から10年以上ぶりの再開を果たした。20mくらい離れて、何かしら話をした。背の高いイケメンは職場に3人ほどいるらしく特定出来なかった。

 

この密度で書いてるとなかなか進まない。

 

 

 

 

 

 

日記

今年度は本当に仕事が忙しかった。月の残業が80時間に迫ると生活の質がめちゃくちゃ低くなることがわかった。今までせいぜい3、40時間で済んでいたのでなかなかきつかった。その分金はもらえたので好き放題レコードを買うなどした。しかしえらい目にあった、上司の不祥事というものは防ぎようがないのだ。

 

新型コロナの影響で、馴染みのお店が2軒閉店してしまった。1軒はフィルム写真アナログ現像の写真屋『ZEN現像所』、もう1軒は南国料理と美味しいお酒、マスターは片栗粉の魔術師『おけらや』。どちらも自分や友人たちにとって大事なお店だったのでとてもショックだ。年をとっていくと、いろんなお別れに直面するが、コロナはその時計のネジをギリギリと巻き上げていってしまう。

 

人生は急ぐ旅ではない、ただし人生には手遅れがある。恩師の言葉を思い出す。

日記

10/10-11、久しぶりの連休に渋温泉へでかけた。8月以来、国勢調査の何やかやで疲れきっていたのでいい骨休みになった。直前やったがgotoキャンペーンを使って格安で宿も取れた。朝食だけのプランだったので、晩ご飯が懸案だった。ネットで入念に検索して予約した、渋温泉食堂gonkiが最高だった。ネットからもいいお店感が漂っていた。夫婦と泣き叫ぶ子供がお出迎え。山ノ内町で取れた野菜、獣にフレンチのエッセンスを取り入れた、みんなでつつける食堂的盛り付けが印象的。マトウダイムール貝とトマトのオーブン焼きが特に美味しかった。フレッシュトマト、ケイパー、レモングラス、酸味のコントロールが絶妙、スープはパンにつけて最後まで。自家製のライ麦多めのパンドカンパーニュは、焼いてもそのままでも程よい酸味が効いていて幾らで食べてしまう。メインを食べ過ぎて満腹になってしまって、デザートまでたどり着かなかったのが残念。2020年1月オープンだそうで、非常に期待が高まる、温泉入らずとも通いたいレストラン。渋温泉は7番目やったか神明滝の湯が好きな泉質だった、トロッとしたしょっぱ目の透明なお湯。帰りに志賀高原にちょっとだけ寄って、紅葉を楽しんだ。

 

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